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逸見政孝との永遠の別れ

フジテレビのアナウンサーだった逸見政孝が、
大阪生まれだと知っている人は意外と少ないかもしれません。
それはアナウンサーとしてニュースを喋る時だけでなく、その後司会者として
かずかずのバラエティ番組にも出演していましたが、完璧な標準語で話していたからです。

胃を押さえる

フジテレビに入社後はスポーツ番組のアナウンサーとして活躍し、
その後報道番組のニュースキャスターへ起用されました。
髪を七三に分け、黒縁のメガネを掛け、真面目なイメージの逸見政孝でしたが、
ひょうきんな一面も持っていて、その外見とのギャップが視聴者に受け、次第に人気が高まってきます。
そして高橋圭三の跡を継ぎ、フジテレビの看板番組「新春かくし芸大会」の司会を芳村真理と行い、
アナウンサーとして立場を確固たるものとします。

フジテレビのアナウンサー時代に晴恵夫人と出会い、
ふたりの子供にも恵まれ、長男は俳優の逸見太郎で長女はタレントの逸見愛です。
1988年は逸見政孝の転機となる年です。
この年逸見政孝は20年間勤めたフジテレビを退職し、フリーのアナウンサーになります。

1985年8月12日に逸見政孝は、夏休みを取って家族4人で大阪への帰省するため、
坂本九が亡くなった日本航空機の123便に搭乗する予定でした。
ところが長男の逸見太郎が新幹線の方が安いからと変更し、難を逃れています。

しかし1993年1月18日に胸のみぞおちの辺りに痛みを感じ、
病院に行くと胃ガンと診断され手術を受けますが、
その後再発し同年クリスマスの12月25日に亡くなります。享年49歳でした。